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医療コーディネーターを知っていますか?~まっすぐ病気と向き合うために~

患者にとっての最適な医療・ケアの提供を目指す医療者と患者の架け橋であり、患者の辛さに寄り添う

伴走者、それが医療コーディネーターです。

【病気が見つかる→診断→治療→退院→療養】という一連の流れの中では<困りごと><悩み><選択>

<決断>が至る所に顔を出してきます。ほとんどの患者さんは初めての経験にどうしたらいいのか分からず

迷い、戸惑います。

そのような時、医療コーディネーターがどう関わり、どう導いていくかを詳しく説明していきます。

目次

医療コーディネーターを知っていますか?

1990年前後、厚生労働省の調査によると日本のがん告知率は約15%に過ぎませんでした。しかし、2007年からがん対策推進基本計画が策定され、今では『告知』が政策の大前提となっています。
がんだけでなく、進行性の難病なども含め、病名告知は『医師の裁量』から『義務』へと変わり、同時に患者さんの『知る権利』へと拡がってきました。

とはいえ、非日常である医療という世界が目に前に現れ「あなたは○○(病名)です。治療が必要です」と突然言われても戸惑うばかりですよね。
「治るのだろうか?」「家族の世話はどうすればいいのか」「医療費はいくらかかるのか」「元通りの生活に戻れるのだろうか」「手術は怖い」・・・。患者さんの不安は募るばかりです。

ちょっとイメージしてみてください。

〖あなたは家族または大切な人達と船で海に出ていました。
ところが突然、あなただけ大海原の真ん中に手漕ぎボートで投げ出されます。
家族たちは船から一生懸命声をかけてくれています。
先のほうにいくつか島が見えますが、どれを目指して進めばいいかわかりません。

そんな時、ふと後ろを見るとあなたのボートのすぐそばに、もう一隻ボートがあり、案内人が乗っています。
案内人はこれから選ぶそれぞれの島について、安全な航路やその途中に立ちはだかる障害、島の様子などを説明してくれました。

どの島も一長一短です。

選ぶのはあなたです。そして、自分のオールでしっかり漕いで進まなければいけません。
案内人はあなたの後ろについてきてくれるので、困ったときはいつでも相談できます。
航路の途中、高波が来たり、進路を遮るものがあれば対処し進めるように案内人がアドバイスしてくれるので、あなたはしっかりオールを握り、舵を取ることができます。
家族や大切な人も船で見守ってくれています。
さあ、目指す島を選んだら、オールを持ち、進んでいきましょう〗

イメージできましたか?

大海原が未知の世界の『医療』、オールはあなたの『意思』、そして案内人が『医療コーディネーター』です

患者さんのご家族や大切な人たちとはまた別の方向から寄り添い、時にはご家族にサポート方法をアドバイスしながら患者さんが目指すところへたどり着けるよう伴走する。

それが医療コーディネーターです。










医療コーディネーターの役割

医療側は病態に応じた最良と思われる治療を提案しますが、それぞれ異なった多くの要素を抱えた患者さんのすべてに同じように当てはまるというわけではありません。
医師は病気を治すこと、生命を最優先に考えます。
患者さんにとっても、それはもちろん最優先なのは当然ですが、それと同じくらい大切にしていることがある場合どちらを優先するべきか悩み、苦しみます。
経験したことのない治療に対する不安や恐怖も大きな要因の一つで、選択や決断を困難にしています。

このような意思決定を阻んでいる要因をひとつひとつ一緒に確認し、対処方法を提案・働きかけをすることで、納得のいく医療を選択するお手伝いをする。
例えば、医師から説明された言葉・内容を患者さんやご家族にわかりやすい言葉で説明し、それぞれの選択肢の長所・短所を理解した上で、まずは自分の病気・今の状況や治療についてしっかりと納得して受け入れてもらう。
それから治療やその後の生活や生き方を、受け身ではなく患者さん自身で決め、それが実現できるように一緒に考え、動き、見守り、支えていく。
これが医療コーディネーターの役割のひとつに挙げられる意思決定支援です。
納得のいく治療を受けることができれば、患者さんはその後の療養生活においても前向きに対応できるようになります。

医療コーディネーターによる医療コーディネーションは

①関係・環境調整


②意思決定支援


③カウンセリング


④療養生活支援



の4つに大別され、一つの介入事例に対し、複数の項目を組み合わせて調整をします。

多くの患者さんが医療において対応に悩む場面ごとに、医療コーディネーターの関わりを説明していきたいと思います。

治療の選択~医療と自分のすり合わせ~

医療が発達するにつれて、これまで治らないといわれていた疾患にも光が見えてきたり、一つの疾患の治療に対してもいくつかの方法を選べるようになってきました。
≪病気が治り、元の生活に戻る≫ために、自分にとって最良の治療を選ぶことが理想ですよね。

治療を受けるにあたり、医師はそれぞれの選択肢のメリット・デメリット(長所・短所)の説明をします。
私の長年の看護師としての経験から、その内容を正しく理解し、納得できている患者さんはあまり多くありません。言葉だけが耳を通り過ぎ、医師が勧める選択肢をそのまま受け入れる患者さん・ご家族がほとんどです。
また、医師からの説明を理解していても、それが自分の現状や価値観と合致しているとは限らず、どちらを優先すべきか迷ったり、うまく医師に説明できないまま勧められる治療を受け、後悔や不信感へと繋がるケースが少なくありません。
それまで普通に日常生活を送っていたのに、突然「あなたは治療が必要な病気です」と告げられ、中には〈早く治療しないと命を脅かす〉状況に置かれる方も少なくありません。
これから自分に降りかかってくる病気との闘いや治療の不安・恐怖のため、その状況を受け入れることで精一杯です。患者さんがよく口にする「まな板の上の鯉」という言葉がよく表していると思います。

このような治療選択の場面での医療コーディネーターの役割は、患者さんやご家族がしっかり理解し納得して治療に対する自分自身の答えを見つけ出せるようにすることです。
身体的苦痛や身体機能的問題を最優先として、患者さんのニーズ(社会的・個人的役割、経済状況、価値観等)をメリット・デメリットと照らし合わせながら、医師の説明を患者さんがイメージできるよう、わかりやすい言葉に落とし込んで説明します。
その上で、患者さんが状況や役割、大切にしている思いを尊重しながら自分自身で選択し、また元気に日常生活に戻れるよう調整し、働きかけていきます。

心と体のつらさ~吐き出すことで前を向けることもある~

しっかり理解し納得したとしても、病気の治療は体にも心にも大きな負担がかかります。期間が長くなれば長くなるほど「本当に治るのだろうか?」「元の生活に戻れるだろうか?」と不安は大きくなるばかりです。
患者さんの中にはやり場のない不安や恐怖を〈怒り〉という表現で訴える方もおられますが、私の経験上、多くの患者さんは感情を抑え、不安を抱えたままグッと我慢されているように思います。
不安・恐怖といった辛さの終わりが大まかにでもわかっていれば、少しの頑張りで乗り越えることができるかもしれません。
しかし、治療の経過が思わしくない場合や「ここまで頑張れば...」という目途が立たない場合・・・たったひとりの心と体には頑張ることにも限界があります。

患者さんの気持ちを理解し、心を寄せてくれる一番の存在は家族です。
まるで自分のことのように心配する家族や友人は「我慢せずに何でも話してほしい」と思っています。

でも、家族だからこそ言えないのです。
ただでさえ、自分のことで心配や迷惑をかけていると思っている患者さんは、これ以上家族に辛い思いをさせることはできない、そう考えてしまうのです。
ご家族も患者さんと同様に、不安や恐怖でどう判断し患者さんにどうしてあげればよいのか分かりません。

私自身もそうでした。
看護師なので治療のことや副作用のことは理解し、その辛さもわかっていたつもりでしたが、一向に良くならない症状やその先の不安に心が押しつぶされそうになりながらも家族や友人に弱音を吐くことができませんでした。
ふと病室から窓の外に目をやると、自分が空からゆっくり落ちていく姿が見え、「楽になれるかも・・・」そんなことを思いながらはっと我に返ることもありました。

ある日、一人の看護師が私の表情を悟ってかけてくれた言葉で、抑えていた感情が一気にあふれ、手術後初めて人前で涙を流しました。
その後、何かが吹っ切れたように心がすっと軽くなり、体の状況はさほど変わりませんでしたが、焦りや不安が軽くなり(消えることはありませんでしたが)少しずつ前を向けるようになった気がします。

看護師がかけてくれた言葉は、自分でも気づいていなかった心の奥にある感情に対する共感の言葉でした。看護師であり、母親である同じ立場だからわかる思いを、医療者と患者ではなく同じ目線から投げかけ、どうしたらいいか一緒に考えてくれました。その時の看護師はまさに私の医療コーディネーターでした。

感情を抑えきれず溢れ出てくる言葉には、無意識のうちに自分に芽生えていた<素直な思い>が詰まっています。
自分が吐き出した言葉にハッとし、辛さや苦しさの本当の原因に気づくこともあります。

医療コーディネーターに思いを話してみてください。



医療コーディネーターは今まで出会ったたくさんの患者さんの人生に関わり、思いを知り、なおかつ医療知識をもつ専門の寄り添い人です。

患者さんの思いをしっかり受け止め、

大切な思いをあきらめることなく今、そしてこれからの人生を歩んでいけるようにお手伝いをする。


それは医療コーディネーターとしての最も重要な役目だと私は考えます。

闘いの勲章~新しいからだとの長いおつきあい~

辛い治療を何とか乗り越え、元の生活に戻れることができました。
その時のあなたの体は病気をする前と全く同じでしょうか?

最初は体力や筋力の低下などで思うように動けなくても徐々に元通りに生活できる方もおられます。しかし、半数以上の方は治療の継続や機能障害、後遺症などの何らかの不具合とつきあいながら生活をされています。
例えば食事制限や内服治療もその一つに挙げられます。
中には人工肛門の自己管理や体内人工物のための行動制限など、今までの生活に工夫を加える必要のある方や、機能障害のために生活様式を大きく変えなければならない方もおられます。
病気が治り、退院して喜んだのも束の間、今度はこれからの生活をどうしていけばいいのかという壁にぶつかります。
入院中にリハビリや処置の仕方の指導を受けるなどして準備を整えて退院後のイメージはできていたつもりでも、いざ家でやってみると同じようにはうまくいかないことはよくあることです。

退院後、それぞれの患者さんの生活様式や活用できる資源(人・物・サービス等)をその人に適するように調整し活用して患者さんがなるべく元の生活に近づけるようにお手伝いすることも医療コーディネーターの役割です。
調整する内容は食事指導や内服指導から、行政やほかのサービスにも関わってもらうなど多種多様です。
患者さんの病気との闘いの頑張りを無駄にしないよう、またその闘いの勲章である退院後の自分の体としっかり向き合い、これから先の長いお付き合いをを受け入れていけるように医療コーディネーターが一緒に考え、向き合います。

私が実際に施術を行っているリンパ浮腫もまた後遺症の一つです。

手術によりリンパ節郭清(取り除くこと)をしたことによってリンパの流れが滞り、手や足が腫れてきます。
腫れの程度には個人差があり、生活にほとんど支障がない場合もあれば、歩行困難や痛みなど生活に大きく支障をきたす場合まで様々です。
また、腫れた状態が続くので外観的にも患者さんにとってはかなり苦痛です。そのことが原因で家に閉じこもりがちになるなど精神面にも大きな影響を及ぼすことも少なくありません。

リンパ浮腫に対しては、リンパドレナージや圧迫療法などの複合的施術、自分でできるケア方法の指導などを行っていきます。
私自身がリンパ浮腫患者であり、現在も圧迫療法とセルフケアをしながら生活しているので、これまでの経験で得た工夫や対処方法をお伝えすることもできます。
例えば夏の暑い時期に弾性ストッキングを着用することは本当に地獄(個人の意見です(汗))ですが、ちょっと工夫するだけで快適に着用することができます。

長いおつきあいになるのであれば、少しでも快適に無理なく続けられる方法を・・・これは後遺症と付き合っていく上での私の根本にある考え方です。

<何か困ったらいつでも相談できる>
医療コーディネーターとして、患者さんやご家族にとってそんな存在でありたいと思います。

生き方の選択~自分らしく生きる~

医療の発達により救える命が増えていく一方で、やはりまだまだ限界はあります。
どれだけ最善を尽くしても効果が望めないと判断されたとき、その先は患者さん自身に委ねられます。
医療側から言うと<委ねる>なのですが、患者側から見ると<投げられる>なのです。
もっと言うと<匙を投げられる>とも受け取れます。

臨床の場で医師からの説明の場に立ち会った経験から言葉を選ばずに表現すると「生きるか死ぬか」の選択ですらなく、「どこで、どう死にたいか」の選択を迫られる、患者さんや家族にとって非常に残酷な場面です。
医師から「どうされますか?」と問われても何をどう選択すればいいのかすらわからず、何も考えられず茫然自失の状態です。

もし患者さんが「医師がどう言おうと、可能な限りの治療を受けたい」と思うのであれば、医療コーディネーターは患者さんの病と闘う意思を最優先に尊重し、あらゆる手段で治療の可能性を検索してどこまでも一緒に闘います。

もし、患者さんが「残された時間を治療ではなく、自分らしく使いたい」と思うのであれば、どのように過ごしたいかをひとつひとつ具体化し、様々な資源(人・物・サービス等)を調整して実現できるようにお手伝いします。

「死」は誰にでもいつかは平等にやってきます。
寿命や闘病の末にその先に見えてくる命の期限を自覚する人もいれば、突然降りかかった不慮の事故などで何の準備もなくその日を迎える人もいます。
まだまだ自分の時間はたっぷりあると思っていても突然終わりが来ることもあるのです。

生まれた時からカウントダウンが始まっていたのであれば「どう生きたいか」ということは「人生を終えるときにどんな自分でいたいか」と同じなのではないかと私は思います。

限られた時間なのであれば、それをどんな自分で過ごしたいか、どう在りたいかを考えてみる。

自分が大切に思ってきたこと、自分らしいと思える状況や場所・役割。

それまで歩いてきた人生を振り返り、笑って過ごした記憶を手掛かりにするのもいいかもしれません。

考えて、悩んだ上で導き出した答えは、紛れもなく自分らしい人生の答えです。

誰もがいつかは迎える最期の時までの残された時間・・・。
長い人も短い人も、それに限りがあることを意識せず過ごす人も認識して過ごす人も、その時間をどう過ごすか。
それが<生き様=死に様>だと思います。

その答え合わせを大切な人たちが見守り、しっかりバトンを受け継いでいく・・・。
自分の人生を自らの意思で自分らしく生きる

医療コーディネーターとして自分の人生を自らの意思で自分らしく生きる患者さんとご家族に全力で寄り添っていきたいと思います。




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